TRPGこぼれ話#01〜除算のゲームと加算のゲーム〜
ソード・ワールド(以下SW)2.0遊んでます。
なかなか面白い。
発表当初は剣の大地や蛮族などの大幅な世界設定の刷新、メイドロボに半魔という、こういっちゃあなんだがヲタク&厨坊御用達な種族の追加なんかに否定的な声も周囲ではあった…メイドロボは未だにどうかと思うんだけど…ものの、遊んでみるとコレはコレでけっこういい。変更は多々あれども雰囲気としてはSW、しかもゲームとして成立させているという点は、どこぞの新版とエライ違い…おっと。かつてはSW嫌いであった自分も今ではプレイグループに恵まれ、レポートなんぞを楽しく書く身となっております(そのうちレポートもアップしたいと思います)。
種族のレパートリーがD&D4eとモロ被りなのが若干気になるが気にするな。こっちのファンタジーでは人造生命体というとメイドロボが加わるのに対し、あっちの世界ではウォーズマン(非PC選択種族)なのが日米の断絶をそこはかとなく表しているといえましょう。
で、2.0になっての変更で気になったことが一つ。
キャラクター・クラス(SWでは技能)にも手が入っているのですが、この変更をD&D3eおよび3.5と比較してみると、日米の感覚の違いというものが見えてきて面白い。この2つのゲームだけで日米の違いを語るのは早計かもしれませんが、両国最も遊ばれているゲームの雄ということで、ひとつ語ってみたいと思います。
SW2.0のキャラクター・クラスは従来から倍近くになっていますが、その増え方は「除算」です。
完全版の頃にあった技能の役割を分解し、それぞれを1つのクラスとして設置することで、現在のような数となっています。
例:
ファイター→ファイター、シューター、亜種にグラップラー
シーフ→フェンサー、スカウト
のように。
完全版自体がすでにゲームとしては過不足を感じさせない(10レベルとかになると話は別だが)構成だったので、2.0においては新しく追加する要素は少なく、逆に細かく分類・整理することでキャラクターの個性化の充実を図ったものと思われます。
なお、一部の特技にもその片鱗が見られます(《全力攻撃》《必殺攻撃》《魔法拡大/*》などは、かつては選択ルールの1つだったものを特技として編成し直したもの)。
この方法の利点としては、それまで持っていたゲームのイメージや遊び方を崩さず、また新しいアイデアを追加(結果、飽和状態になりやすい)せずとも多数の選択肢を作ることができるため、従来からのファンには馴染みやすいことが挙げられましょう。
その一方で除算だけに今まで持っていたクラスの能力が制限され、ワリを食うのは気の毒としかいませんが…戦闘のプロのファイターがまったく射撃武器を使えないとか、先制判定に協力できないとかは、どうかと思うんだけどなあ…。
対して、D&D3.0e。こちらのキャラクター・クラスの増え方は「加算」です。
かつてファイターは「d8を振ることが仕事」と揶揄された(hpやソードのダメージなど、d8を振れるのはファイターのみだった。逆に言うとソードを振るぐらいしか仕事がない)殴り専門の壁役でしたが、その剣を振るという行為に《激怒》、もしくは神の加護によるパワーアップという形でバーバリアン、パラディンが新設されています。その一方であくまでも剣を振るという行為に重点を置き、それに多数の特技で各人の創意工夫を活かせる形でファイターも残っています。ウィザードに対するソーサラー、クレリックに対するドルイドなどもこの流れに当てはまります。
また、モンクやバードについては完全な新クラスの設置です。3.0eの膨大なデータとルールの中で新生2クラスの設置は相当の苦難であったと思われますが、そこは新生D&Dの野心的試みの一端というところでしょうか。新設されたはいいが、ことごとくSW2.0のマギテックと並んで「いてもいいけどいらないといったら一番いらない」というのも趣き深い。
3.0eから3.5eの移行においてもその方針は継続されており、あまりにもアレなデータ(ヘイストとか)はともかくとして、ほとんどのデータには制限するという形の変更はなされず、むしろ追加がなされていました。3.0eではバーバリアンやパラディンに先んじられていたファイターには《上級武器熟練》《上級武器開眼》が与えられ、ソーサラーも呪文の入れ替えが可能になるという気配りが涙ぐましい(でも、オレはファイターは12Lで止めたほうがいいと思う)。一方で3.0で不良品扱いされていた(してたのはオレだが)レンジャーは、4eにおける砲撃主の先駆として全くの新生クラスと言っても良い変貌を遂げていたりしました。バードはあんまり変わってなかったけど。
こちらの利点はとにかく新鮮味に溢れている事。ルールブックを見た時に大量に羅列された新データを見れば、ゲームをしたくならずにはいられんでしょう。そしてファイターの派生の例を見るように、根本は変えずに選択肢を加えるという、SWとは違った意味で過去のプレイ感覚を失わずに済み、かつ次々と新しい要素が追加されていく無限の可能性があります。新生D&Dをアピールすると同時に、新しいD&Dファン層を開拓するには、この方針は大いにプラスであったと思います。
反面、追加されていくことによって、どんどんゲームが別物にして複雑化していくという負の要素もあります。実際、3.0e発売当時は「こんなのD&Dじゃねえ!」という旧来ファンの反発もかなりあたとか。後年それは改められたにしても、新アイテム、新ルール、新世界観…と、サプリメントが出るたびに追加されていった新要素にどれだけのプレイヤーがついていけたのか。筆者はコアルールでさえ把握しきってないというのに。
「システムとしては最高だ。システムを理解できた人間には」
という言葉はこのスタイルの限界を示す的確な指摘と言えましょう。
既存の枠からはみ出さずに整理・分化に勤めたSW2.0。
破綻を恐れず追加を繰り返したD&D3.0e。
この辺に日米のゲームスタイルの違いというものが顕れているように思います。
聞いた話によるとモノポリーの遊んだところ、トレードにおいて日本人は自分と双方の利益を推し量るジレンマ型、対してアメリカ人は「君は得をするが俺も得をする」と、色が揃えば結構気前良く応じるそうで。流石はパワーオブドリームの国。違った。技を超えた純粋な力、それがパワーだ! でしたっけ? まあいいや。
なお、D&D4eは追加された種族やルールの変化、パワーの種類など随所に日本ゲーの要素を盛り込んでいるように感じられるのが興味深い。特に再訓練ルール、ありゃ『迷宮キングダム』を誰かがWOCに送ったんじゃあるまいな。
なかなか面白い。
発表当初は剣の大地や蛮族などの大幅な世界設定の刷新、メイドロボに半魔という、こういっちゃあなんだがヲタク&厨坊御用達な種族の追加なんかに否定的な声も周囲ではあった…メイドロボは未だにどうかと思うんだけど…ものの、遊んでみるとコレはコレでけっこういい。変更は多々あれども雰囲気としてはSW、しかもゲームとして成立させているという点は、どこぞの新版とエライ違い…おっと。かつてはSW嫌いであった自分も今ではプレイグループに恵まれ、レポートなんぞを楽しく書く身となっております(そのうちレポートもアップしたいと思います)。
種族のレパートリーがD&D4eとモロ被りなのが若干気になるが気にするな。こっちのファンタジーでは人造生命体というとメイドロボが加わるのに対し、あっちの世界ではウォーズマン(非PC選択種族)なのが日米の断絶をそこはかとなく表しているといえましょう。
で、2.0になっての変更で気になったことが一つ。
キャラクター・クラス(SWでは技能)にも手が入っているのですが、この変更をD&D3eおよび3.5と比較してみると、日米の感覚の違いというものが見えてきて面白い。この2つのゲームだけで日米の違いを語るのは早計かもしれませんが、両国最も遊ばれているゲームの雄ということで、ひとつ語ってみたいと思います。
SW2.0のキャラクター・クラスは従来から倍近くになっていますが、その増え方は「除算」です。
完全版の頃にあった技能の役割を分解し、それぞれを1つのクラスとして設置することで、現在のような数となっています。
例:
ファイター→ファイター、シューター、亜種にグラップラー
シーフ→フェンサー、スカウト
のように。
完全版自体がすでにゲームとしては過不足を感じさせない(10レベルとかになると話は別だが)構成だったので、2.0においては新しく追加する要素は少なく、逆に細かく分類・整理することでキャラクターの個性化の充実を図ったものと思われます。
なお、一部の特技にもその片鱗が見られます(《全力攻撃》《必殺攻撃》《魔法拡大/*》などは、かつては選択ルールの1つだったものを特技として編成し直したもの)。
この方法の利点としては、それまで持っていたゲームのイメージや遊び方を崩さず、また新しいアイデアを追加(結果、飽和状態になりやすい)せずとも多数の選択肢を作ることができるため、従来からのファンには馴染みやすいことが挙げられましょう。
その一方で除算だけに今まで持っていたクラスの能力が制限され、ワリを食うのは気の毒としかいませんが…戦闘のプロのファイターがまったく射撃武器を使えないとか、先制判定に協力できないとかは、どうかと思うんだけどなあ…。
対して、D&D3.0e。こちらのキャラクター・クラスの増え方は「加算」です。
かつてファイターは「d8を振ることが仕事」と揶揄された(hpやソードのダメージなど、d8を振れるのはファイターのみだった。逆に言うとソードを振るぐらいしか仕事がない)殴り専門の壁役でしたが、その剣を振るという行為に《激怒》、もしくは神の加護によるパワーアップという形でバーバリアン、パラディンが新設されています。その一方であくまでも剣を振るという行為に重点を置き、それに多数の特技で各人の創意工夫を活かせる形でファイターも残っています。ウィザードに対するソーサラー、クレリックに対するドルイドなどもこの流れに当てはまります。
また、モンクやバードについては完全な新クラスの設置です。3.0eの膨大なデータとルールの中で新生2クラスの設置は相当の苦難であったと思われますが、そこは新生D&Dの野心的試みの一端というところでしょうか。新設されたはいいが、ことごとくSW2.0のマギテックと並んで「いてもいいけどいらないといったら一番いらない」というのも趣き深い。
3.0eから3.5eの移行においてもその方針は継続されており、あまりにもアレなデータ(ヘイストとか)はともかくとして、ほとんどのデータには制限するという形の変更はなされず、むしろ追加がなされていました。3.0eではバーバリアンやパラディンに先んじられていたファイターには《上級武器熟練》《上級武器開眼》が与えられ、ソーサラーも呪文の入れ替えが可能になるという気配りが涙ぐましい(でも、オレはファイターは12Lで止めたほうがいいと思う)。一方で3.0で不良品扱いされていた(してたのはオレだが)レンジャーは、4eにおける砲撃主の先駆として全くの新生クラスと言っても良い変貌を遂げていたりしました。バードはあんまり変わってなかったけど。
こちらの利点はとにかく新鮮味に溢れている事。ルールブックを見た時に大量に羅列された新データを見れば、ゲームをしたくならずにはいられんでしょう。そしてファイターの派生の例を見るように、根本は変えずに選択肢を加えるという、SWとは違った意味で過去のプレイ感覚を失わずに済み、かつ次々と新しい要素が追加されていく無限の可能性があります。新生D&Dをアピールすると同時に、新しいD&Dファン層を開拓するには、この方針は大いにプラスであったと思います。
反面、追加されていくことによって、どんどんゲームが別物にして複雑化していくという負の要素もあります。実際、3.0e発売当時は「こんなのD&Dじゃねえ!」という旧来ファンの反発もかなりあたとか。後年それは改められたにしても、新アイテム、新ルール、新世界観…と、サプリメントが出るたびに追加されていった新要素にどれだけのプレイヤーがついていけたのか。筆者はコアルールでさえ把握しきってないというのに。
「システムとしては最高だ。システムを理解できた人間には」
という言葉はこのスタイルの限界を示す的確な指摘と言えましょう。
既存の枠からはみ出さずに整理・分化に勤めたSW2.0。
破綻を恐れず追加を繰り返したD&D3.0e。
この辺に日米のゲームスタイルの違いというものが顕れているように思います。
聞いた話によるとモノポリーの遊んだところ、トレードにおいて日本人は自分と双方の利益を推し量るジレンマ型、対してアメリカ人は「君は得をするが俺も得をする」と、色が揃えば結構気前良く応じるそうで。流石はパワーオブドリームの国。違った。技を超えた純粋な力、それがパワーだ! でしたっけ? まあいいや。
なお、D&D4eは追加された種族やルールの変化、パワーの種類など随所に日本ゲーの要素を盛り込んでいるように感じられるのが興味深い。特に再訓練ルール、ありゃ『迷宮キングダム』を誰かがWOCに送ったんじゃあるまいな。

























