はじめにまず空腹ありき
昨日、なんでまた突然ステーキが食いたくなったのかと思ったら、『銀河鉄道999』(昨年末に出た)で、鉄郎がステーキを食ってるのを見たからか。
「面白い漫画はメシがうまそうに見える」というフシギな法則があるように、『999』でメシを食うシーンは実に腹が減る。特にラーメンは絶品で、鉄郎少年の「人類の口の永遠の友」という表現には納得して唸らざるを得ない。
もっともオレにとって最もうまいラーメンはインスタントラーメンなのだが。この年になってラーメン屋に足を運ぶようにはなったのだが、いまだにインスタントラーメン以上にオレの嗜好に合うラーメンを食したことがない。これはオレの味覚がおかしいのだろうけど、幼少期、山登りの後に食ったインスタントラーメンがむしょうにうまかったという体験も手伝ってるんだろう。空腹以上の調味料はないってほんとだな。
ただしチキンラーメンは除く。ちょっと味が濃すぎるからネ。サッポロ一番みたいに、スープが分離、しかも粉スープが理想。
20年以上かけてやっとこさSFCゲームをできる環境になったので往年の名作を遊んでいる。その中のひとつ、『MOTHER2』でおかしくて仕方ないのは、やたらと回復扱いの食べ物の種類が豊富なことだ。別に回復するだけならPSIでもいいし、SPの回復手段がホテルぐらいしか手段がないので、攻略だけならそこまでアイテムに頼ることもない。ハンバーガーショップやベーカリーが町中にあっても、重要な意味はない。が、それにも関わらず敢えてマップに設置して、プレイヤーに買って食べさせるところがいい。考え方に余裕があるんだな。こっちも効率が悪いとわかりつつも、その意気を買って、思わず買い食いをしてしまう。これがまた、少年少女の冒険という空気を引き立ててくれて、ますます繰り返し通いたくなる巧妙なギミックなのだ。
敢えて実用性以外に技術や容量を注ぎ込むところは、元禄文化に通ずる心の豊かさを感じる。
TRPGでは『ウォーハンマー』の食い物が世界観に寄与していてなかなかイカス。店先で売ってるハーフリングのパイは、中身は聞いてはいけないとか、毎回レシピが違うとか。『MOTHER2』の「路上販売なのでハエもたかっていい味に仕上がってるよ」を実践してやがる。こういう、PCや人々の生活がにおい立つような設定ってイイね。海外小説に無闇やたらと多い食事の描写とか、時代小説で唐突に挿入される食い物の薀蓄とか。『ウォーハンマー』の場合はかなりイヤーソな臭いだが。それも生理的にクる。
そういや、ラーメンとか一般的な食い物が話題にあがるTRPGってなかなかないな。『デモンパラサイト』はドカ弁とかステーキとかよくリプレイに出てきてたけど、できることならもっと細かく指定してくれるとよかったなあ。あとは個人の嗜好で回復量が違うとか、状況状況によって効果が変わり、同じコンビニ弁当でも都内のアパート食うか人外魔境で数日さまよった後食うかで全然満足度が違うだろとか、意地汚い方向でこだわってくれたらなお好みだったんだけど。ちょっと複雑過ぎるし、なんか悪魔変身よりただの大食いゲームになりそうだな。
やたらと大衆食にこだわるゲームも、それはそれで新しい味になるかもしれない。
食い物をうまそうに描ける作品が面白いのは、食欲という原始的欲求を突くテクニックを作者が持っていて、それに加えて人生体験の深さが反映されてるからだろうか? 『999』を見て思ったのは、飢えを体験した人でなきゃ描けない絵だ、ということだ。実際他の作品でも貧しい人の食べ方、「大勢で身を寄せ合って、邪魔にならないように食べる」実体験や観察眼がなければ描けない姿を紙面にしている。本物を描ける人は、やっぱりそれ相応の、本物の飢えや食事を通過してこそ、実行できてるんだろう。
最近のクリエイターはメシを貪るような姿を描けない、という嘆きを聞いた。ほんとの空腹を知らないから、そうやって食べたことがないからだそうだ。生きてる以上飢えなんて無い方がいいに決まってるが、豊かになって人生の経験値が平均化されてるのも、それはそれで寂しい。
あんまり人に言えたことではないが、筆者も飢えて動けなくなったことがある。家の中で。
「面白い漫画はメシがうまそうに見える」というフシギな法則があるように、『999』でメシを食うシーンは実に腹が減る。特にラーメンは絶品で、鉄郎少年の「人類の口の永遠の友」という表現には納得して唸らざるを得ない。
もっともオレにとって最もうまいラーメンはインスタントラーメンなのだが。この年になってラーメン屋に足を運ぶようにはなったのだが、いまだにインスタントラーメン以上にオレの嗜好に合うラーメンを食したことがない。これはオレの味覚がおかしいのだろうけど、幼少期、山登りの後に食ったインスタントラーメンがむしょうにうまかったという体験も手伝ってるんだろう。空腹以上の調味料はないってほんとだな。
ただしチキンラーメンは除く。ちょっと味が濃すぎるからネ。サッポロ一番みたいに、スープが分離、しかも粉スープが理想。
20年以上かけてやっとこさSFCゲームをできる環境になったので往年の名作を遊んでいる。その中のひとつ、『MOTHER2』でおかしくて仕方ないのは、やたらと回復扱いの食べ物の種類が豊富なことだ。別に回復するだけならPSIでもいいし、SPの回復手段がホテルぐらいしか手段がないので、攻略だけならそこまでアイテムに頼ることもない。ハンバーガーショップやベーカリーが町中にあっても、重要な意味はない。が、それにも関わらず敢えてマップに設置して、プレイヤーに買って食べさせるところがいい。考え方に余裕があるんだな。こっちも効率が悪いとわかりつつも、その意気を買って、思わず買い食いをしてしまう。これがまた、少年少女の冒険という空気を引き立ててくれて、ますます繰り返し通いたくなる巧妙なギミックなのだ。
敢えて実用性以外に技術や容量を注ぎ込むところは、元禄文化に通ずる心の豊かさを感じる。
TRPGでは『ウォーハンマー』の食い物が世界観に寄与していてなかなかイカス。店先で売ってるハーフリングのパイは、中身は聞いてはいけないとか、毎回レシピが違うとか。『MOTHER2』の「路上販売なのでハエもたかっていい味に仕上がってるよ」を実践してやがる。こういう、PCや人々の生活がにおい立つような設定ってイイね。海外小説に無闇やたらと多い食事の描写とか、時代小説で唐突に挿入される食い物の薀蓄とか。『ウォーハンマー』の場合はかなりイヤーソな臭いだが。それも生理的にクる。
そういや、ラーメンとか一般的な食い物が話題にあがるTRPGってなかなかないな。『デモンパラサイト』はドカ弁とかステーキとかよくリプレイに出てきてたけど、できることならもっと細かく指定してくれるとよかったなあ。あとは個人の嗜好で回復量が違うとか、状況状況によって効果が変わり、同じコンビニ弁当でも都内のアパート食うか人外魔境で数日さまよった後食うかで全然満足度が違うだろとか、意地汚い方向でこだわってくれたらなお好みだったんだけど。ちょっと複雑過ぎるし、なんか悪魔変身よりただの大食いゲームになりそうだな。
やたらと大衆食にこだわるゲームも、それはそれで新しい味になるかもしれない。
食い物をうまそうに描ける作品が面白いのは、食欲という原始的欲求を突くテクニックを作者が持っていて、それに加えて人生体験の深さが反映されてるからだろうか? 『999』を見て思ったのは、飢えを体験した人でなきゃ描けない絵だ、ということだ。実際他の作品でも貧しい人の食べ方、「大勢で身を寄せ合って、邪魔にならないように食べる」実体験や観察眼がなければ描けない姿を紙面にしている。本物を描ける人は、やっぱりそれ相応の、本物の飢えや食事を通過してこそ、実行できてるんだろう。
最近のクリエイターはメシを貪るような姿を描けない、という嘆きを聞いた。ほんとの空腹を知らないから、そうやって食べたことがないからだそうだ。生きてる以上飢えなんて無い方がいいに決まってるが、豊かになって人生の経験値が平均化されてるのも、それはそれで寂しい。
あんまり人に言えたことではないが、筆者も飢えて動けなくなったことがある。家の中で。

























