クトゥルフ神話TRPGヨタ話#77~クトゥルフセッションレポート『もっと食べたい』後編~

 彼は暗く奥まったところに、無形の大きな塊がうずくまった形で頭をもたげているのに気がついた。塊は彼が近づいたためにちょっと身じろぎをし、けだるい様子でヒキガエルのような形の大きな頭を前へ突き出した。そこについている目が、まるでまどろみから半分だけ覚めたとでも言わんばかりにゆっくりと開いた。眉毛の無い黒い顔の中の2つの裂け目から燐光が漏れ出たような感じだった。
 ―クラーク=アシュトン=スミス『七つの呪い』―

 翌日の午前中、約束した喫茶店に原田ひかるは石沢裕美を伴って現れた。三十路手前の大手企業OLで、なかなかの美貌の持ち主である。
KP「原田ひかるは出会い頭に“ウガア・クトゥン・ユフ!”と声をかけてきます」
一同「お、おう」
冴子「あのー気になってたんですけどその“ウガア・クトゥン・ユフ”ってなんなんですか」
KP「一種の感嘆詞として使っているようですな。韮崎がカウンセリング中に発する言葉で、特に意味は考えていないようです」
冴子「はあ。ヤックデカルチャーみたなもんですか」
司馬江「それで、原田さんは韮崎孝江さんのカウンセリングを受けているとお聞きしましたが……」
KP「その話に及ぶと、原田は嬉しそうにべらべらと喋り出します。積極的に誰かに聞かせたがっているみたいですね。仕事上のストレスから過食症に陥ってしまったところを、口コミで聞いた韮崎のカウンセリングを受けてみて、劇的に改善されたとか。なんでもひとたび受けるとまったく食欲を感じなくなり、しばらくは水だけでも平気になるんだそうです。例えて言うなら、夢の中で誰かが自分の代わりに食事をしてくれているような
司馬江「どう聞いても正常じゃないなあ」
相桐「喋っている彼女の様子はどうなんだ?」
KP「では、〈目星〉か〈医学〉ロールを」
相桐「〈目星〉は成功だな」
司馬江「よし、酷過ぎる出目がやっと収まってきた。〈医学〉も成功」
KP「彼女の痩せ方はそんな食生活で、かなり不自然ですね。栄養の偏りがあるせいか、肌荒れが起きているようですが、うまく化粧でごまかしてます。また、右手の甲に噛み跡があります
相桐「ああ、もしかして過食症の?」
KP「ですね。〈医学〉に成功した司馬江さんは詳しく知っていますが、食べたものを嘔吐する時に、喉に深く指を突っ込むせいで、前歯で手の甲を傷付けてしまうという過食症特有の傷痕です。もっとも、古さからして嘔吐感は無くなっているようですが」
司馬江「一応、曲がりなりにも効き目はあるのか」
KP「ただ、カウンセリングの効果は長続きせず、三週間もすると再び食欲が戻ってくるんで、また韮崎のカウンセリングを受ける必要があるんだそうです。大体月1回に6000円、そこまで高いというわけじゃありませんな」
冴子「実際にカウンセリングではどんなことをお話するんでしょうか」
KP「専門的な単語や、薬物を用いることなく、お茶を飲んだりケーキを食べたりしながら楽しく会話をしているだけで食欲が消えると彼女は言ってます」
冴子「それただの女子会ですがな」
司馬江「韮崎さんの連絡先や、カウンセリングを受けられる施設を教えていただくことはできますか?」
KP「原田は仲間ができるのを喜んで、進んで教えてくれます。なんならSNSのコミュニティに参加してもらってもいいですよ」
一同「あ、いえ結構です」
KP「ところで、原田さんはさっきからようけ食べてますな。カロリーの高そうな甘いものを次から次へとバクバク食ってます」
相桐「おい大丈夫かそれ。足元からボリボリ音がしてても俺は覗かないぞ」
KP「いやあんなことにはなりませんけど、ウットリとした表情で“もっと食べたいの……いくら食べても平気、先生の話さえ聞けば、醜い脂肪も消えていくんだから……”と答えながら、暴食を続けますね」
 原田と裕美が去ってから、探索者一同ヒソヒソ相談する。
冴子「見ましたアレ? 絶対おかしいですよ。もしかしたら脱法ハーブとか使ってるのかもしれませんよ」
相桐「古いな君! しかし、あの様子だと韮崎をディスるような事を言わんといてよかったな」
司馬江「迂闊なことを言ったらSNSで吊し上げられて住所や電話番号を晒されたりしたかもしれんな、○女板みたいに」
冴子「その日のうちにツイッターは炎上ですよ」
 聞けば聞くほどカウンセリングの異常性が浮き彫りになる事態、どうにもこうにも一度韮崎と会ってみなければ話は進まないようだ。

司馬江「ところで私の衝動は収まっておらんのだな。うーん、鏡を見ながら〈精神分析〉でもすべきだろうか
相桐「いやそれ絶対手遅れになってる症状だよ!」
冴子「あわ、あわわわ。あのー、韮崎さんを訪問する前にあのスケッチについて調べてみませんか? もしかしたら改善のヒントがあるかもしれませんし」
相桐「そうだな、国会図書館にでも行ってみるか」
 膨大な書物の中から発見された該当する存在は、ツァトゥグアと呼ばれる神格だった。
KP「ツァトゥグアというのはハイパーボリア、現在のグリーンランド近辺に存在したという失われた大陸で崇拝された神だそうです。ンカイという暗黒の洞穴に棲んでおり、話によるとサイクラーノシュ、つまり土星からやってきたともいいます」
相桐「つまりどせいさんか」
冴子「あのツラ構えでどせいさんフォントで話すんですか」
司馬江「確かにゆるキャラっぽいな」
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スミス先生自らのツァトゥグア像。これはこれでじゃっかんのゆるさを感じさせる。
KP「ツァトゥグアに接触した際、空腹である可能性が50%あります。空腹でなければツァトゥグアは侵入者を無視して眠ったふりをしますが、空腹の場合は捕まえて丸飲みにします。丸飲みにされた者は各ラウンドに全ての能力値を1ポイントずつ、死ぬまで失います」
司馬江「うわあ、なんかすごい具体的なデータまで判明したぞ」
相桐「んじゃあ韮崎はそんなロクでもない存在の力を借りてカウンセリングを行っているってことなのか?」
冴子「……いや、待って下さい。オカルトと現実が一致したからといって、すぐに決めつけてしまうのは危険です。現象が符号したり、オカルトを肯定する人を見かけたりした時は、単純なある・なしではなく、何故そうなったのか、その経過や心理を慎重に考察することこそ、正しいオカルトに対する姿勢です
司馬江「(驚いている)君17歳じゃなかったっけ? その年にしては随分スレた考え方だなあ」
冴子「物事はプロレス的に考えなさいっておばあちゃんが言ってました」

 正気度が減ったり〈クトゥルフ神話〉技能が成長したりしそうな予備知識を身に着けた上で、いよいよ韮崎のもとへ突撃。
司馬江「普通のマンションだなあ」
冴子「こういう目的で使っていいんでしょうか?」
相桐「契約とマンションによるんでないのかね。医療行為にあたるような事はしてないみたいだし」
司馬江「まあ、だったら普通に訪問するか」
 司馬江がインターホンを鳴らすと、韮崎らしき女性の声で返答があった。
韮崎「どなたです?」
司馬江「あのー私石沢啓太さんの友人でして、彼の事でちょっと……」
韮崎「帰って下さい(ブツリ)」
一同「エエーッ!?」
 いきなりインターホンを切られて、動揺する三人。
冴子「なんですかなんですかあの態度。なんか、クリティカルな所に触れたんでしょうか。これはオカルト的に考えて超常現象かもしれませんよ!」
相桐「もしかして、石沢さんに都合の悪い事でも聞かれたんじゃないのか?」
司馬江「しかし一発で門前払いになるとは思わなかった」
KP「あのー集合住宅内で、部屋の前でいつまでもウロウロしてると警備員さんを呼ばれると思うんですが」
 慌てて退散し、以後の行動を練る。
冴子「話を聞くだけでも蹴られそうですから、やっぱりカウンセリングを口実に入れてもらうのがいいんじゃないですかね。しかも女学生にとってダイエットとは避けて通れない悩みの種! 私が格好の患者になれます」
司馬江「急な話だが予約は付けられるのかな」
KP「スマホで調べると、ちょうど空いていたことにしますか。月一回程度で済む隠れカウンセラーなら、そんなに予約殺到というわけでもないでしょうし」
相桐「よし、取り巻きの月平にその間マンションの見張りを頼むか」
KP「了解。といっても影響力6なんでホントにただの見張りですけど」
 あらためて、冴子が韮崎の部屋のインターホンを押す。
KP「予約を入れていた旨を告げると、韮崎は通してくれます。知的な雰囲気の美人(冴子以上のAPP17)ですけど、なんとなく病的な気配があります」
冴子「予約を入れていた早乙女冴子でーす」
韮崎「後ろのお二人はどなたでしょう」
相桐「そう言えば俺たちの口実を考えていなかった」
司馬江兄です!(キッパリ)
冴子妹です!(キッパリ)
相桐「えーと、そういうことです」
KP「……まあ、過食症とか、心理的な相談ということなら、身内が付き添いでもおかしくはないでしょうからな。彼女は大人数の来訪に驚いた様子で“ウガア・クトゥン・ユフ!”と口にします」
一同「う、ウガア・クトゥン・ユフ」
KP「(ダイスを振る)その言葉を口にすると、司馬江さんは舌をピチャピチャと鳴らし始めます
冴子「お兄さん、つまようじでピチャピチャ言わせるのやめて下さいよ」
相桐「ホントに古いな君!」
司馬江「うーむ、やはり何かこの異常事態に関係する単語なのかな(ピチャピチャ)」
 韮崎の言葉や態度には自信が溢れており、不思議な説得力がある。しかし、よく見ると原田ひかると同じように不節制による肌荒れや痩せ方が目立ち、手の甲にも噛み跡が見られる。
司馬江「ふん、そんな様でカウンセラーを名乗るとは。医療界のチェ・ホンマンと呼んでやろう

 韮崎の部屋は2DK、女性が住むにしては少々手広い気もするが、かといって不相応に豪華というわけでもない。カウンセリングは、玄関を入ってすぐのダイニングキッチンで行われる。オッシャレーな造りで、中央には白いテーブルがあり、そこにはティーセットと、紫のビロードがかけられた高さ30センチほどのものが置かれている
冴子「何ですかコレ?」
韮崎「ウガア・クトゥン・ユフ! それは企業秘密よ」
相桐俺は絶対見ないぞ
冴子「まあ、シナリオの展開上見ることになりそうですけど」
 もうひとつ、違和感があるのが台所の隅。段ボールが置かれていて、そこからモシャモシャ何かを食む音がする。覗いてみると、中ではウサギが新聞紙を寝床代わりにして丸くなっていた。
冴子「わー可愛い。ペットですか?」
KP「しなびた野菜クズが散らばっていたりして、あんまり可愛がっている様子はありませんね」
冴子「違うみたいですね」
KP「韮崎曰く、知人からの預かり物だそうですが」
 韮崎がお茶とケーキを用意したところで、カウンセリングが開始される。
KP「では冴子さんは韮崎に摂食障害であることを信じ込ませるための〈言いくるめ〉か〈医学〉か〈精神分析〉ロールを。摂食障害の資料に関する資料を読んでいる場合は+20%のボーナスを得られます」
冴子「えええー。私交渉系技能に振るポイントが全然無かったのに……一番マシなのは〈言いくるめ〉ですね。それでも25%ですが……うーんやっぱり失敗。食べちゃいけないなーと思っているけど、ついつい甘いものを食べちゃうんです
相桐「普通だなあ」
韮崎「貴方それは意志が弱いだけよ」
司馬江「そこは私がフォローに回ろうか。ふっふっふ、ボーナスを加えれば〈精神分析〉は100%を超えるのだ。もちろん成功」
KP「うまいこと信じ込ませることができたようですね。親身になって韮崎は語りかけてくるようになります。彼女は話し上手で、紅茶やケーキの味も申し分ないです。ただ……ちょっと〈精神分析〉か〈心理学〉ロールをどうぞ」
司馬江「こっちも成功だ」
KP「その言動から、彼女が正式なカウンセラーとしての専門的教育を受けていないのは丸わかりですね要するに〈言いくるめ〉で患者を納得させていたワケです
相桐「薄々勘付いてはいたが、やっぱりな」
KP「韮崎は会話の中で、“ウガア・クトゥン・ユフ!”という言葉をしばしば織り交ぜてきます。それを聞いていると、皆さんの体はだんだんとだるくなり、食欲が失せ、1時間も話していると、マジック・ポイントを1D3点失います
一同「ぬな!?」
KP「さらに司馬江さんは、“ウガア・クトゥン・ユフ!”を聞く度に、流れる血を見たいという衝動が湧き上がってきます。例え、隣に座っている冴子さんや相桐さんでも構わないという強烈さですな。POW10の抵抗ロールをどうぞ」
司馬江「ぬんですと!? ううむ、ちょっと苦しいが……成功だ」
KP「では、その衝動は部屋の隅のウサギに向けられますが、そんなことをするぐらいなら自分を傷付けた方がマシだという場合は自分を傷付けることになります」
司馬江「流石に人道に反することに手を染めるのは気が引ける……というわけで自分の手をフォークで刺そう。ウェッヘッヘ、血だ、血だー!
冴子「異常行為を見せる度に思ってましたけど、よくそんなにサラッとロールプレイを切り替えられるなあ(※前回書いてませんでしたが、実に自然な切り替えでした)」
KP「唖然とする一同の前で、司馬江さんは自分の流した血を舐め取ろうとします。が……その血は、手に沿って滑り落ちるのではなく、まるでビロードの方へ吸い込まれるように飛んでいきます。血はビロードの下へと滑り込み、その動きは完全に物理法則を無視しています」
冴子「非ユークリッド幾何学に従っているっていうアレですね!」
KP「もちろん正気度ロールが必要な光景です」
相桐「なんじゃいこりゃあ! ギャアー失敗MAXの3点も減ったぁ!」
司馬江「そんなことよりも血だ、血を見せろー!」
冴子「こ、これはオカルト的に考えて超常現象です! 韮崎さん、貴方一体何をしてるですか! このビロードに隠してある物は何なんです!」
 韮崎の止める間もなく、冴子はビロードの裾を荒々しく掴むと、思い切り引っぺがした。
 ゴトリと音を立ててテーブルの上に横たわったのは、ザラザラした黄土色の砂岩を削って作られた石像であった。ずんぐりとした、コウモリとヒキガエルを彷彿とさせるその姿、いやらしい笑みを浮かべたような大口や、でっぷりと膨らんだ腹からは生理的嫌悪感と不気味さしか感じられない。
 それは、石沢の部屋で発見した異様なスケッチ、そして図書館で見た邪神ツァトゥグアの偶像とそっくりであった。
KP「韮崎は血相を変えて石像を抱え上げます。一方、ビロードに手を出した冴子さんに向けて、司馬江さんは堪えがたい攻撃衝動に突き動かされます」
司馬江「ううーむなんてこった、しかし独力でどうしようもないのでは致し方ない。ウヒヒヒ、血がもっと見たいなぁ
冴子「だからなんでそんなに違和感ないロールプレイなんですか!」
相桐「ちょっと待て、これ司馬江さんを何とかするのって物理的手段でないといかんのか」
KP「動けなくするならノックアウト攻撃か、〈組みつき〉で押さえつけるのが手っ取り早いでしょうな」
冴子「私STRが5しかないからダメージ・ボーナスがマイナスなんですよう」
相桐「5もあればいいじゃねえか、俺だってSTR4しかないぞ
司馬江「戦闘能力はまるでない三人の中でも、実は私が一番戦闘には適していたのだな
KP「司馬江さんは最も適切と思える手段で攻撃して下さい。POW10に抵抗すれば攻撃ロールを1/2にすることができます」
司馬江うーん失敗
冴子「えええー!」
司馬江「とは言え、ナイフの基本命中率は25%もないのでそうそう成功しないと思うが……あれ、成功してる。ひーっひっひっひ、切り刻んでやるー!」
冴子「ちょっとー! ううう、でも私だってどんくさい(DEX6)なりに〈回避〉にはポイントを振ってるんです! ……ギャー失敗したあ! うわーん痛い痛い痛い!」
相桐「〈組みつき〉は動けなくさせるのにSTRの抵抗ロールなんだよなぁー。やっぱり〈こぶし〉で殴り倒すのが一番現実的か。俺STR4しかないけど、SIZは15あるからダメージ・ボーナスは±0なんだわ
KP「でけぇ! っていかマトモな腕力があればダメージ・ボーナスも容易だったろうに」
相桐「50%しかない命中率だが……それでも成功だ」
司馬江さっきから何故か出目が冴えている。25%なのに受け流してしまったぞ」
相桐「いらんところで良い出目すなー!」
冴子「私はダメージに期待できないんで、テーブルやそこら辺の家具をひっくり返して韮崎さんの足止めをします! キャーキャー!」
KP「韮崎は石像を守りながら、司馬江の影に隠れて距離を取ろうとしてます」
相桐「奴を引き止めたいが、それには目の前の狂人(司馬江さんのこと)を何とかせにゃならんしなあ。しかし〈こぶし〉ではノックアウト攻撃が難しいし、さっきからいやに出目がいいぞこの切り裂き魔
司馬江「好きでやってるわけではないんですがなぁグェッヘッヘ」
冴子「〈投擲〉ならダメージ・ボーナスが関係ないから、多少マシなダメージになるかもしれませんが……でも、基本命中率が25%なんですよねえ」
KP「あ、司馬江さんは韮崎を守るように動いているので、韮崎に向けて投げれば命中率関係なく当たるかもしれませんな
冴子それだ! 思いっ切り力を込めて椅子を韮崎に向けて投げつつ司馬江さんにダメージを与えます! 司馬江さん正気に戻ってぇ―――! このネタどっかで使った気がする!
司馬江「ぐはっ……今までで一番高いダメージを受けた気がする」
相桐「続けて俺の番だが……〈こぶし〉は命中したけど、ノックアウト攻撃には失敗しちまった」
司馬江「おっ、でもそれで受けたダメージで、ちょうど気絶した」
 殴り倒された司馬江の口から、突然黒い液体が零れ出した。その量は人間の胃袋に納まっていたとは信じ難いほどの量で、腐った沼のような悪臭と黒曜石のような光沢を放ちながら、ドロドロとダイニングの床を汚していく。
 液体はやがてひとつの塊となり、下腹部に当たる場所から数十本の短い擬足を生成し、ヘビのようにぬうっと鎌首を持ち上げた。のっぺりした黒い塊の頂点には木の杭のような荒々しい歯を何本も生やした口が開き、体のあちこちから、ギラギラした光を発する瞳が覗いていた。体は液体の性質を維持し、滴のように一部が溶け落ちていくこともあったが、その一部は物理法則を無視し、まるで触手か指のように空中をまさぐることもあった。
 これがツァトゥグアに従属する、無形の落とし子の生体である。
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かつては堂々モンスターガイドの表紙を飾ったこともある
冴子「ギャアアー! 符号とか心理を考える以前に本物だったぁ! こここここれは超常現象的に考えて超常現象です!
相桐「ぐふぅ、正気度ロールは失敗! ……1D10で3点だったから、まだマシな方だが……」
KP「その黒い塊は歩くのではなく、体を丸めながら倒れ、同時に新しい足と頭部を作りだし、転がるように移動します。幸いなことにひっくり返されたテーブルや、家具が邪魔をして自由に動けないようですが、予想以上に俊敏ですね。そうした阻害するものをタコのように触手で握り潰したり、テーブルをボリボリとクッキーみたいに噛み砕いたりしてます
冴子「どうしましょうコレ。あんな花山薫みたいな表現の破壊行為を前に、何とかできる気がしないんですけど」
相桐「何か別の目標で気を逸らすか……段ボール箱の中のウサギでも捧げるか!?
司馬江「(気絶中)私が自分の身を削ってまで守ったんでそう簡単に犠牲にされるのはちょっと……」
KP「怪物は今の所韮崎の前に立ち塞がり、守るように体をうねらせているだけで、自発的に攻撃しようという気配はありませんな」
相桐「誰かが気を引いている間に、韮崎を押さえつけるしかないだろうな……よし、ここは俺が囮になるぞ。〈回避〉が90%を超えているから、事故にも備えられるしな
冴子「高ッ! じゃあ、頑張って私は韮崎を足止めしましょう」
相桐「何もしないのもなんだから、〈応急手当〉で司馬江さんを目覚めさせておこう。手勢は多ければ多い方がいい」
KP「スゲエ、ピンポイントでシナリオで役立つ技能が優秀だ。っていうかホントに本業以外は優秀なんですね
司馬江「ハッ! 気付いたら目の前に正気度をごっそり減らされそうな怪異がいるが、そんなことよりあの女と石像だ!(正気度ロールに成功した) 私の変調もあの医療界のチェ・ホンマンの仕業だな!?
KP「韮崎は立ち上がった司馬江を見て、室外へと走り出ますが……栄養不足で体力が無いんで、すぐ息が上がっちゃいます
司馬江「うおおー貴様のおかげで私の社会的地位が! マウントを取って石像を奪ってくれるわ!」
KP「司馬江さんが石像を奪い取ろうとすると、韮崎は最後の力を振り絞って抵抗しますが……そのはずみに、像はコンクリートの床に落ちて砕け散ってしまいます。その瞬間、周囲の光景が一変します

 そこはあらゆる生物の白骨の死体が敷き詰められた暗黒の洞窟の深部。どこからともなく聞こえてくる、「ウガア・クトゥン・ユフ! クトゥアトゥル グブ ルフブ=グスグ ルフ トク!」という詠唱の連呼に囲まれた、怠惰と惰眠を象徴するような、ナマケモノかヒキガエルに似た太った無定形の体が鎮座し、人肉を貪っていた。その姿は石沢の部屋で発見したスケッチ、そして韮崎が所持していた石像に酷似していた。
 しかし、その怪物が発する邪悪さは、石像の比ではなかった。こちらにはまったく興味も害意もないように見えるのに、遠くから見ているだけでも魂が打ち砕かれるような恐怖を感じさせる。それは自らが人間のちっぽけな認識を超越した、宇宙的規模の存在であることを、無言のうちに知らしめているのだ
 怪物は探索者たちの方を物憂げに見つめていたが、やがて飽きたとでも言うように目を逸らすと、どこからともなく裸体の女性をつまみ上げ、ゆっくりといやらしく開かれた口へと放り込んだ。その女性は、自分の待つ運命を知りながら、喜悦の表情を浮かべていた――。
 女は言うまでも無く、韮崎孝江その人だった。

KP「韮崎の凄まじい絶叫で白昼夢は終わります。彼女の腹からヒキガエルの鳴き声のような巨大な音が弾け、見る見るうちに肉が落ちていき、手足は枯れ木のように細っていきます
相桐「うげっ……腹だけが膨れた、まさに餓鬼、か……」
KP「それがぴったりの形容ですね。一方、怪物は石像が破壊されて、目的を失ったかのようにウロウロした後、ゆっくりと韮崎の方へと這いずっていきます。韮崎は両手を広げて、そんな怪物が近付いてくると、両手を広げて“ウガア・クトゥン・ユフ!”と天に向けて叫び、その姿からは想像できないほどの素早さでカサカサと四つん這いで寄っていきます」
 韮崎は無形の落とし子の上に来ると、まるで餓えた獣のようにその体にむしゃぶりついた。奇妙なことに無形の落とし子は抵抗せず、むしろ自ら彼女の体内へ入り込むように、食われるままになっている。
 やがて、痩せ細った韮崎より一回り二回りも大きな無形の落とし子は、ほんの数十秒で彼女に食い尽くされてしまう。餓鬼そのものの姿となった韮崎は弱々しく探索者たちに手を伸ばし、

韮崎「もっと食べたい……」

 そう言い残すと、大きなげっぷをした後、息を引き取った。

 その後の調べで、韮崎はかつて過食嘔吐に悩まされていたところを、骨董品屋の隅で埃をかぶっていたツァトゥグアの石像を発見し、食欲を失わせる奇妙な能力を身に着けたとわかった。
 石沢啓太の行方は杳として知れない。韮崎の死は摂食障害のカウンセラーが、無理なダイエットで落命したという皮肉な三文記事で扱われただけであった。
 死因は、餓死である。

(完)

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