読んだ本#34~暗い私小説、そして明るい私小説~

 以前紹介した『大きな約束』の前史となる二冊を読んでギョッとした

 春画

春画春画
(2001/02)
椎名 誠

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 かえっていく場所

かえっていく場所かえっていく場所
(2003/04)
椎名 誠

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 『大きな約束』でも死の影は端々で意識されたが、この二冊はより明確、特に『春画』は死んでいった人々、死にゆく人々の物語と言って差し支えないだろう。あのエネルギッシュだった椎名さんがこんな暗い話を書くなんて……。本当に「明るい私小説」と称された『岳物語』と同じ人なのだろうか? と思われても不思議ではない。「こんなに弱気な椎名さんを見たくなかった」という読者の感想もむべなるかな、である。
 椎名さんご本人の口から語られたことによると、この時期「」であったらしい。そうした気持ちの落ち込みが直接反映されてか、『春画』全編にはどうにも鬱屈とした気配が漂っており、話題そのものも自分が後妻の子であったこと、義母との結婚前の不和、ために飛び出すように奥様の家を出ていったことなど、今まで語られてこなかった過去に踏み込んでいる。奥様の計画しているチベット旅行への同行に対するわけのわからない気おくれ、それに端を発した夫婦間の隔絶など、現在進行系で語られる事柄もどうも穏やかでない。愛犬モリチャンの死と思しき描写は、その行雲流水(のほほん)とした性格を過去のエッセイで知っているだけに胸が痛んだ。その死をすぐに伝えられない椎名さんにも。
 『かえっていく場所』になると、それから気持ちが上向きになってきていたとおっしゃっているが、物語の始まりは奥様の更年期障害と明るくない。椎名さん自身も不眠症に悩まされ、それを紛らわすための飲酒に壊れていく自分を自覚し、恐怖している。お子様達の父親はどうも元気が無いぞ、という意見に反発しながらも、心のどこかで認めている椎名さんがいる。
 暗さでは『春画』だが、衝撃度ではこちらの方が私には上だった。本書で語られた、椎名さんの年上の友人がある日突然壊れてしまったくだりには、かつての読者として「まさか」と愕然とした。「椎名さんの読者なら、すぐに名前が浮かぶはず」という文庫版の解説の通り、私にも一読で推測することはできた。しかし、推測すればするほど信じ難かった。その方ほど、睡眠薬と通院で壊れてしまうような精神状態と無縁の人物はいないだろうと思える、頑健なイメージだったからだ。現在では、椎名さんのエッセイなどに再び登場するようになり、間柄も復旧されたようで安心した。
 両書で共通した心の支えはご家族、特にご子息と娘さんの活躍。最早すっかり大人と呼べる年頃になった御二方は、アメリカからはるばる日本を訪れ、それが椎名さんや奥様の励ましになっていることが窺える。『かえっていく場所』で、娘さんが翻訳スタッフとして父の椎名さんと一緒に仕事をしているのには、何やら感慨深いものがある。また小学校の生徒への模擬授業における、子供たちへの視線は優しい。着実に一歩一歩「死」へと近付いていく一方、新しいいのちへの期待は忘れずにいるようだ、と少し安心する。
 なお、『春画』で書かれている酒場で出会った女性と夜を共にしたエピソードが創作であることは、筆者にはすぐにワカった。昔からストレートな恋愛は書きづらい、とこぼしているように、椎名さんの作品における女性関係は、どことなくつくり話っぽさがある。今回でいえば唐突なベッドイン、投げやりな女性の態度は以前の作品で見た流れで、これはどうも実話ではなさそうだな、と思ったらその通りであった。椎名さんの作品から離れていたが、我が嗅覚はそうした臭いを覚えていたと少し嬉しくなった。

 スーパーエッセイなどと呼ばれた『哀愁の町に霧が降るのだ』のような作風が抜けた時寂しかったように、『岳物語』の伸びやかな「明るい私小説」から変わっていったのもまた寂しいものである。が、周囲の人々の死や病気、自身も深刻な不眠症に悩まされれば、こうもなろう。また私はこの椎名さんの「暗い私小説」も好きだ。これはこれで新境地として、楽しみにしていけばいいだろう……。
 と思っていたら、またまた「明るい私小説」を椎名さんがやってくれた。読破順が読破順だけに、あまりの落差に「ややややや」とややや化した。

 三匹のかいじゅう

三匹のかいじゅう三匹のかいじゅう
(2013/01/04)
椎名 誠

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 『大きな約束』でスポットを当てられていたお孫さんたちとの交流が、ここでは主題となっている。つまり全編じいじいバカ。かつての岳少年を彷彿とさせる三匹のかいじゅうの起こす大騒動、それを綴る椎名さんの筆は実に楽しそうでノッていて、心の底から新しいいのちを愛そうとする姿勢が伝わってくる。あんまりにもあんまりなじいじいバカっぷりに、思わず頬が緩んでしまった。これがノスタル爺ならぬ育ジイか。
 彼らの元気いっぱいな姿にあてられてか、これまでの私小説に差していた影はだいぶ鳴りを潜めている。一時期の「鬱」を客観的に見られるほどになっており、危険な状態からは脱することができたようだ。また自分のじいじいバカっぷりを書くことが楽しくなっているようで、文体が実に軽快なのである。この気分の上向きは、『大きな約束』でもそう見られなかった傾向だ。病院のパーキングが整備されて、これなら安心だ、と思った直後、だめだだめだ、三人の可愛いマゴを誰も病院通いなんてさせないぞ、と激しく頭を振る箇所には、かつて『岳物語』の『インドのラッパ』を読んで以来の気分のいい笑いが出てしまった。私小説で大いに笑うなんて何年ぶりだろうか?
 無論、本書でも死んでいった人々、死にゆく人々の話も上がるが、それらは孫たちに囲まれた、ささやかだが心和む生活からの連想であり、やはり主眼は新しいいのちたちに置かれているのだ
 本書がものすごくいいのは、「父」となったご子息を見るかつての「父」という二重の構造になっているところ。アメリカから帰国したご子息は、もう一度アメリカへ渡るのか、それとも日本に居着くのか、選択を下せぬまま綱渡りのような生活を強いられていたらしい。結果として就職活動はうまくいくが、各地を飛び回っている間に琉太君の骨折騒ぎが起きてしまい、しかもその直後に海外に出なければならないその心痛たるや、察するに余りある。実の父である椎名さんなら、尚更敏感に察したことだろう。アメリカに戻るか否かの問題についても、椎名さんはご子息らの迷いを感じながらも、彼らの人生の大きな流れにちょっかいを出すまいと口を閉ざす。孫を心配する祖父としての心情と、子を案じるご子息の想いを推し量る父としての心情、この二つの視点が同居しているのが、ものすごく私小説としての深みを増していると思うのだ。

 東日本大震災と、原発事故の影響を考えて沖縄に向かうのは、過剰反応と感じる人もいるだろう。が、幼い家族を預かる親としては無理もない心情だと思う。「何の根拠もないけど何とかなるんじゃないかなぁ」という理由で何もしなかった私よりは遥かにマシだ。とは言えあの時、公的な発表で信頼に足るものは何一つなかった。かといって、市井の人々の間で氾濫した悲観論も楽観論も同じことだった(きょうび「日本終了」…日本に東京でも米国でも好きな地名を入れて下さい、会社名とかでも結構…なんてタイトルのスレッドが毎日のように立つぐらいだし)。逃げると言っても、急に頼れる先なんて筆者にはなかった。そもそも実家や親戚の住処は事故現場に近づくことになる。「どこへ逃げていいのかワカらないなら、それはどこにいたって同じことじゃないかなぁ」というあやふやな根拠をもとに、私は同じ生活を続けた。
 幸い、筆者は今のところ健康を特別害することもない。椎名さんの沖縄避難は取り越し苦労で済んだようだ。言うても十年二十年先に影響が出るかもしれないからまだ断言はできないが。筆者はあと四十年ぐらいは生きていたいけど、今ポックリ逝ってしまっても、正直な話悔いが残るとすれば5eのキャンペーンを立ち上がることができなかったこと、手持ちのキャンペーンが完結しないこと、参加しているキャンペーンのメンバーに迷惑がかかること、ぐらいのもんである(嗚呼ダメ人間)。が、人の親ならそんなことは言ってられまい。日本中、あるいは世界中で、今日も星の下椎名さんやご子息のような不安を抱えながらも健やかなれと願っている親たちがいるのであろうな(遠い目)。

 息子と父の触れ合いを書いた『岳物語』から時は経ち、孫と祖父の触れ合い、そしてもう一度息子と父の関係が描かれるようになったのを見ると、年を取ることも決して悪い事ばかりじゃないな、と思える。本書の出版から二年が過ぎ、三匹のかいじゅうたちも、いずれも難しい年頃にさしかかっていることだろう。願わくば『岳物語』で椎名さんとご子息の間に生まれた断絶が再来しなきゃいいが……と大きなお世話を考えてしまうけれど、大丈夫ですよね、きっと。父と子ならともかく、祖父と孫って、可愛がられていても案外遠い存在だったりするしなぁ
 先日小学生になったお孫さんたちを描いた『孫物語』も出版されたそうで、だとするとこれは『三匹のかいじゅう』の続編か!? おーこっちも読みたいぞうっ。


孫物語孫物語
(2015/04/21)
椎名 誠

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