読んだ本#26~ナマコの本~

 椎名誠さんは、幼少の私の活字ギライ治療に一役買った作家である。
 私の親は、息子に「正しい子供」に育ってほしいと願っていた。TVゲームや漫画よりも運動と本が好き、朝は早起き夜は素早く床に入り、誰にでも明るく元気に挨拶するような教育委員会推薦的な少年に。その反動政策というか、見事にサブカルに興味津津で運動はまったくダメなインドア派、喋る時は常に伏し目がちでボソボソ喋る正しくない子供が出来上がってしまった。遅寝は夜になるとパワーボムで風呂に叩き込まれ、布団への寝技を極められる稲妻のような連携のせいであまりした覚えはないが、早起きは苦手だった。
 これはイカンと山登りに連れ出したり、読書記録をつけろと言ってきたりしたが、「ルセイ、そんなものより9巻しか家にないドラゴンボールの他の単行本を読ませろ!」とますます私は反発を強め、漫画・ゲームを買ってもらえない腹いせに地下組織のプロパガンダ機関紙よろしく自作の絵や漫画をそこらへんの紙に描きまくっていたのである。なんか、今やってることと全然進歩してないなぁ(山登りは嫌いではなかった。自分のペースで歩ける限りは、だが)。それと、親が薦めてくる本が実録小説もののカタい内容だったのもタイミング的に最悪。親御さん、あーたそりゃー小学生が読んだって理解できずちっとも面白くないですよ。
 そんなむなしい暗闘を続けていたある日、親が本屋で「好きな本を買ってあげる」と言ってきた。私は「買ってあげるったって読みたくねぇんだけどなぁ」と思いつつ、自分の選択でものを買っていいというのは珍しい好意でもあったし、何より貧乏性である。貰えるものは病気とか毒とかセーヴィング・スローを要求されそうなもの以外なら大体貰う主義だ。そこで、できるだけ難しくなさそうな、かつ内容がマンガ的なタイトルの本を探してみた。それが椎名誠さんの『フグと低気圧』だった。

フグと低気圧 「椎名誠 旅する文学館」シリーズフグと低気圧 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ
(2014/07/31)
椎名 誠

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 マンガ的と言っては失礼かもしれないが、実際子供が読んでもなかなかオモシロイ内容だった。何より、本とは小説とはかったるくて首や肩が痛いものだな、と思い込んでいた私に、ライト・エッセイという存在は衝撃であった。まさか『怒の日』で、活字によって爆笑する日が来るとは。また、カツオの刺身のドンブリ、鉄火丼ならぬ銀火丼は未だに食ってみたいメニューである。
 こうしてじわじわと活字アレルギーを克服していった私は、家の本棚に転がっていた『哀愁の町に霧が降るのだ』に手を染め、それからズブズブと活字の大海へと沈んでいくのであった。

哀愁の町に霧が降るのだ 上 (小学館文庫)哀愁の町に霧が降るのだ 上 (小学館文庫)
(2014/08/05)
椎名 誠

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 もっとも、そこから読み始めた本は椎名さんのエッセイにしばしば登場する古典SF、それもディック先生のようなタメになるではなくダメになるタイプの本ばかりだったので、結局親の望む方向とは真逆の深みに沈んでいってしまったのだが。
 一時期は片っ端から読んでいたのだが、ある時を境に追うのを止めていた。契機となったのは思考の中心がTRPGに向いてからで、財力と精神力の全てをそっちに注ぎ込むようになっていた時期では、なかなか書籍にまで気が回せない。また、単に金が無かったというのもある。小遣いというものを貰えるようになった頃にはすっかり私の悪趣味な読書傾向が露呈していたため、「本なら買ってあげる」なんてことは金輪際言われることなく、「欲しいものは自分のカネで買いな」と冷たい態度に豹変していたのである。それに椎名さんは、多作の人であるため、刊行される本という本を買って読んでいくには、とてもじゃないが懐が追いつかなかった。頑張って『本の雑誌血風録』『新宿熱風どかどか団』シリーズ辺りまでは確保したのだが、それが最後だったかな。ドシャメシャな文体が抜けてきて、角が取れてきたのに物足りなさを感じていたのもあるかもしれない。オレも若くてヘンなものを崇拝する傾向が強かったからね(今もか)。

 そして時は流れて先日、椎名さんの名前にこのタイトルがふらっと目に入った瞬間、直感が「これはオレの求めていた本だ!」と告げ、何年ぶりかの椎名さん本没入体験をしたのである。それが

 埠頭三角暗闇市場

埠頭三角暗闇市場埠頭三角暗闇市場
(2014/07/01)
椎名 誠

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 椎名さんは翻訳SF黄金期の洗礼を浴びたSF狂である。読書体験を語る時に、しばしばそのマニアぶりが発揮されていた。往年の名作を読んでいくうちに「いつかは自分もSFを」と熱意を高めていったそうで、その夢は『アド・バード』『武装島田倉庫』を皮切りに、混沌怪奇、摩訶不思議なシーナ・ワールドSFとして花開くことになる。

アド・バード 集英社文庫アド・バード 集英社文庫
(2014/09/05)
椎名誠

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新装版 武装島田倉庫 (小学館文庫)新装版 武装島田倉庫 (小学館文庫)
(2013/11/06)
椎名 誠

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 この一風変わったSFを語る上で、椎名さんの独自の単語精製能力は外せない。ページを開けば、次から次へと聞いたことのない単語が飛び出していき、特に説明もないまま物語はずんがずんがと進んでいく。一体これは何なのだと聞いてみたくなるが、とにかくそういうものなんだから教えないもんね、というストロングスタイルによって読者は後ろ手を固められながら組み伏せられるのである。そして、実際そう言われたら仕方ないと納得してしまう卓越なネーミングセンスによって、このSF世界は構成されているのだ。
 エターナルフォースブリザード級の名前であれば、納得する前に鼻で笑っちゃうところだが、椎名さんの命名は未知であるものの、どれもなんとなく世界や場面に合ってると思わされる響きがある。もともとは『地球の長い午後』で使用されていたテクを拝借したそうだが、今やその憧憬は、立派なシーナ・ワールドSFという独自の世界を構築しており、オリジナルと誇ってもいいと思う。元から小うるさい考証主義者の棲みつくジャンルで、しかもインターネットの発達により誰もがいっぱしの科学識者ぶれる中、説明をぶっとばして「言葉の意味はわからんがとにかくすごい自信だ」で黙らせてくるシーナ・ワールドSFは、ポンチ頭で科学知識のない筆者には居心地がいい。そう言えば、『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』などの初期作の頃から意味は置いといてそれっぽい言葉を並べていく、語彙力は飛び抜けている人だった。シーナ・ワールドSFの屋台骨になる単語精製能力は、すでにあの頃片鱗を見せていたのかもしれない。
 世間的には日本SF大賞を受賞した『アド・バード』がメジャーなところだけど、個人的には『武装島田倉庫』の方が好きだ。椎名さんの造り出す、泥臭くて荒々しい言語感覚が、より退廃著しい『武装島田倉庫』にぴったり合っていたと思うのである。一番好きなのは『武装島田倉庫』の続編『みるなの木』。

みるなの木 (ハヤカワ文庫JA)みるなの木 (ハヤカワ文庫JA)
(2000/04)
椎名 誠

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 タイトルからして素敵に刺激的だが、内容も一風変わった変化球が揃い。血と暴力の臭いのしていたシーナ・ワールドSFの中で、割と家庭的な話があったりするのが心に残りましたな。最初の単行本の装丁もものすごくよかった。
 『埠頭三角暗闇市場』も予想通りシーナ・ワールドSFのひとつであったが、あのネーミングセンスがまったく変わっていないのに驚かされた。椎名さんも今年で70歳になるというのに、まだこんなギラギラしたシーナ・ワールドSFを読めるとは、眼福眼福。この手の小説は書くのに物凄いエネルギーを要するので、どうしてもスパンが長くなるそうだが、いつまでも続けてほしいものです。
 本作の目新しいところは、人間と獣の魂や精神を入れ替えたりくっつけたりする、“人獣合魂エンジン”を巡るミステリー仕立てになっている点か。これまでの『武装島田倉庫』や『みるなの木』では、生態系も文明社会も徹底的に破壊尽くされた後を生き延びようとするサバイバル術が中心だったので、このような謎に取り組む余裕のある世界というのは、なかなか新鮮である。当然生き馬の目を抜くような生存競争は続いているが、ある程度の衣食住は確保されており、さらに警察などの社会機構も残滓ながらちゃんと存在している。シーナ・ワールドSFでも比較的珍しい方ではないか(『みるなの木』収録の『対岸の繁栄』では、そこそこ復興していた気配がある)。謎解きの要素を持っていると気付いたのは結構読み進めた後だったので、逃げたと言われたはずのキムが普通に登場したのを最初に見た時は、「アレ? なんかの間違い?」と首をひねってしまいましたよ。あれはアナコンダに魂を移して、肉体だけ置いて逃げたという意味だったのですね。
 登場人物では古島刑事がいい。マッド・サイエンティストの北山医師や、頭に蛇を移植しようとする李など異常な登場人物ばかりが出てくる中で、状況に翻弄されるこの刑事には、中年男のこすっからさと哀愁がにじみ出ていて、実に等身大な人物と感情移入できるんですなぁ
 ちなみに、本作が『武装島田倉庫』『みるなの木』『砲艦銀鼠号』などのシリーズに含まれることには、筆者は異を唱えたい。その理由は、先に述べた“余裕のある世界”であること。『埠頭三角暗闇市場』には警察機構も一応は機能しているし、進出してきた中露印の三国と交渉している政治的組織も存在するようだ。現存するマンションもあり、大破壊(アルマゲドン)以前と同じような生活をしている老人まで登場している。これと比べてみると、『武装島田倉庫』などは極めて荒廃の度合いが強い。『埠頭三角暗闇市場』で展開されているような、国際的謀略が動くほど整理もされていなければ、いささか領土の取り合いをする利点にも欠けている気がするのだ
 日本のようでどこともしれない異国情緒を内包していたシリーズの中で、『砲艦銀鼠号』にて中国など現実の国名が少しずつ登場してきており、本作と共通していると見られる点も多い。が、同じ設定を使ったパラレル物語ではないかと筆者は推測する。しかし、もしかしたら日本の中でもマシな箇所の物語が『埠頭三角暗闇市場』で、『武装島田倉庫』系列は特に文明崩壊の度合いの酷い地域を描いているのかもしれない。シーナ・ワールド研究家による考察を是非聞いてみたいところだ。

 椎名さんの本でもう一冊。

 ナマコのからえばり

ナマコのからえばり (集英社文庫)ナマコのからえばり (集英社文庫)
(2010/08/20)
椎名 誠

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 シイナマコトという名前の中にはナマコがいる。『ナマコのような月が出た』なんて本も出してましたね。そんなわけで『ナマコのからえばり』というタイトル通り、ナマコが世の中のよしなしごとに好き放題元気よく喋っているのが本書。
 シーナ・ワールドSF同様、久しぶりの椎名さんエッセイ集となったわけだが、これまたおでれえた。しばらく見ないうちに文体がずいぶん変わっていたのだ。元から堅苦しくない、気楽な語り口だったのが、なんちゅうか『むははは日記』でサラバしたはずの昭和軽薄体に先祖がえりしているような。『新宿赤マント』とも違う、さりとて『国分寺書店のオババ』のようなコトバの迫力とイキオイで押してくるタイプとも違う砕けた口調で、こういうのを何というのだろう。平成軽薄体か? 話の面白い親戚のおじさんという感じで私はこちらも好きだ。時々挟まるあんまりうまくもないオヤジギャグも、自分の話に自信が持てなくてついついジョークを入れちゃう照れ隠しのようで可愛げがあってイイ。
 一番笑ったのは「世界にはとんでもない決まりごとがあり、シカゴには“燃えている家の中で食事してはいけない”、ルイジアナ州には“銀行強盗を働いた際に出納係を水鉄砲で撃ってはいけない”という法律がある」話。訴訟社会っておっかねぇなぁ。
 また、二重におでれえたのは、想像以上にアンテナをいろんな所に張っているということ。「木連というのは『木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星国家間反地球共同連合体』の略称であるという。本当だろうか」なんて一文を見た時はひっくり返った。本当だろうか、と聞かれる前に、今年70歳にもなるノンポリノンセクトのパタゴニアの氷海を突き抜け、タクラマカンの砂漠を踏みしめた肉体派作家がなんで『機動戦艦ナデシコ』の敵組織なんて知ってるんだという疑問を聞いてみたい(その略称は本当ですよ)。スケブ(スケッチブック)などという同人界隈の略称まで知ってるのにも仰天した。本の雑誌も最近は萌え系の漫画を掲載しているようで、その線で聞いたのかもしれない。そういえば原稿をワープロで書くようになったのは知っていたが、電子書籍も利用しているそうな。なんか、俺より全然ハイテケに順応してるなぁ。衰えないということは留まり続けることではなく、進化を続けているって意味なのだな、と恐れ入りました(ふかくふかく平伏)。
 久々に手に取った二冊ともアタリとあって、またシーナ・ワールドSFの旧作やエッセイを読み返したい衝動にかられてきた。『本の雑誌傑作選』の「いい本を読んだ日はいつも愉しい気分だ」というコピーは、まったくその通りであると思う(同書の「それにしてもいいかげんな雑誌だったと思う」は最強クラスのキラーコピー)。ナマコブーム再来が訪れているのかもしれない。
 しかし、椎名さんも話を聞くに相変わらず旅と酒の日々を送っているようで、心底恐ろしいおじいちゃんもいたもんである。この人とトミチンにはいつまでも長生きして、あっちこっちで面白い話、変な話をずっとしてもらいたい。
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