好きな漫画#50~あしたのジョーの方程式~

 島本和彦先生と言えば熱血漫画の第一人者であると共に、漫画読みとしての資質も超一流である。その才はラジオやインタビュー、シマモト流解釈を加えたパロディ同人誌などで遺憾なく発揮されているのは、周知の通り。中でも先生の作風と水と油とさえ言える『機動戦士ガンダムSEED』のパロディ漫画と、水を得た魚と言うべき相性の『ロッキー・ザ・ファイナル』、ラジオで勝手に妄想してた回は爆笑したっけな
 そして本書は、書籍まるまる一冊を使って、それも先生のマスターピースのひとつ『あしたのジョー』を取り扱っている、となれば、これはもう熱量が違うのだ(しかも相方はかつて熱血漫画を担当編集したササキバラ・ゴウ氏だ!)。

 あしたのジョーの方程式

あしたのジョーの方程式あしたのジョーの方程式
(2006/09/14)
島本 和彦

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 『あしたのジョー』というのは押しも押されぬ名作であるし、語られることも多い。が、語られてはいてもなんか語れない漫画だと思う。まっしろになって微笑むラストのジョーを筆頭に、「なんとなくはワカるんだけどうまく説明できない」事柄が多いのだ。「なぜジョーと力石はお互いにあんなにこだわったのか」「なぜジョーは力石に勝てないのか」「カーロス戦後のジョーは何のために戦ったのか」……エトセトラ。読者という立場からすると、それ以外にない展開と肌で納得してはいても、客観的な立場で考えると、実にジョーの行動には矛盾と疑問がつきまとうのだ
 本書の白眉たるところは、タイトルに冠された“あした”という単語に焦点を当てて突き詰めていくと、全て納得のいく話になるという分析。ここでいう“あした”とは「努力すれば手が届くところにある何か」を指しており、例えば少年院で力石にぶちのめされたジョーにとって、力石とはボクシングで強くなればぶちのめせるかもしれない、いやぶちのめして俺が上だと証明しなければならない「あした」である。しかし、力石にとってジョーの「あした」とは現時点での自分、すなわち「今日」でしかない。ジョーに追いつかれないためにも、力石も「あした」を求めて歩み始める。ここに「あした」を目指す者同士の相互関係が生まれ、ふたりは倶に天を戴かんとする死闘へと身を投じていくのである
 ただ漠然とした判断基準しかなかったジョーにとって、力石とは明確な「越えなくてはならない壁」という価値観を与えた男であり、故に絶対に戦いを挑まねばならない(というか、多分それ以外に目的がない)。しかし力石が「あした」であるなら、それに追い付いた時は「今日」になるのだから、物語は、いやさ『あしたのジョー』という作品のテーマは死んでしまう。だからジョーは力石に決して勝てない、勝ってはいけないのだ
 一方で力石の「あした」とはジョーを倒すことではなく、白木葉子のもとでボクシング界で成功するというもうひとつの価値観がその先にある。そこに向かうためにも、ジョーを倒し、自分が手の届かない存在であることをはっきり知らしめておかなくてはならない。さもなくば、一生追いかけてくるジョーの影に背中を脅かされ続けることになってしまう。だからこそ力石も、絶対にジョーに負けるわけにはいかない。さらに力石の中にもジョーに似た少年院流の血が流れているから、無茶な減量をしてでも決着をつけたいという、奇妙な友情にも似た強固なつながりが存在しうるのである。
 ……という具合に、この理屈は『あしたのジョー』というタイトルにかかって呑み込みやすく、かつ本当に後々のシーンまで読み解け、かつ新たな価値まで付与してくるからスゴイ。再確認したはずの自分の「あした」を、自らの手で壊してしまったジョーは、戻ってきたリング上で嘔吐するという丹波文七の脱糞ばりの醜態を演じるのもそれは当然いやさ必然。「あした」と思って挑んだはずの場所に、実は何にもない、敵をスパイするような腐った奴らしかいなかったのだから。ササキバラ氏の「ちゃんとしたもの食わないから、おなかを壊したんですね」というゲンが島本先生よりシマモト流ですごく好き。やっぱ波長合うんですね。世間一般では蛇足とされるハリマオ戦まで意味深いように思えてくるから不思議だ(ハリマオが相手なら、力石やカーロスを壊した時のような心配をしなくてもいいし、友情も生まれないからただただ殴り合える、なんであの時のジョーは楽しそう)。
 「あした」に辿り着いた時は「今日」なのだから、ジョーが「あした」を手にするのは物語が終わる時。だからジョーは自分にとっての「あした」である力石にも勝てなければ、カーロス・リベラにも勝てない。そして物語の終焉で、ジョーはチャンピオンのホセ・メンドーサにも勝てなかったが、チャンピオンとは違う、力石やカーロスと培ってきた血まみれの生き様の正しさを証明したという「あした」に辿り着き、微笑んで去っていくのである。「『あしたのジョー』とは敗北の物語である。重要なライバルを相手にした時は勝てない」という持論の島本先生ならではの解釈だ。
 人がジョーに憧れるのは、意地悪な見方をするとこの「負けの美学」にあるのかもしれない。決して勝てないジョーのキャラクターは、試合の上では負けてもいいから、自分の信念を貫けばいいんだ! という後ろ向きな安心感を与えてくれるワケだ。とは言え相手を壊して自分も壊れてでも信念を貫くぐらいの覚悟がなければジョーにはなれないし、大抵は信念を貫けずただ負け犬になるだけなんですけどね! それに島本先生だって、ホセ・メンドーサのようなボクシングのキャリアを積み、家族と健康を大事にする、実に正しい「あした」を肯定してるんだから、そっちだって現実には恥じることはない! というかその方がいい。
 ホセ・メンドーサがあれだけ狂乱したのは、そんな自分の「あした」をジョーが破壊しにくる、しかもそいつはパンチドランカー覚悟で我流を貫こうとするまったく別種の「あした」に向かって襲ってくる男だったから。ボクシングにそこまでの価値を見いだせない(家族や健康を犠牲にしてまでやろうとは思わない)ホセは、一度ボクシングを捨てて、反則をしてでもジョーを拒絶するのだ。君が思っている「あした」は違うんだ、なぜ私の「あした」を壊しにくるんだ、しかも自分で欲しくもないのに来るなよ! と。ここ、島本先生は笑って話しておられたけど、確かに襲いにくる奴って、標的が欲しいものを持ってるから襲ってくるんだよなぁ普通は。堅実で現実路線のホセと、破滅型のジョーとの隔絶が浮き彫りになる名シーンでもあったのか。
 あと、強くてチャンピオンでマイホームパパのホセと並んでみると、ジョーの超破滅型主人公の体質がくっきりはっきりしますね。星飛雄馬も破滅型だが、一応巨人の星を目指すという目的はあったから。栄光でも報復でも憎悪でもなく、ただ自分の正しさを証明するためだけに、壊れることを厭わず相手をぶっ壊しにかかる、こいつは怖い。怖過ぎます。こんな奴ボクシング以外をやっちゃあいけません。いやボクシングでさえ最終的に相手をぶっ壊して自分もぶっ壊れちゃうし。
 本書のいいところは、漫画評論ではなく、あくまでも「こんな見方もできるよ、そうすると面白いよ!」という提言であること。その手の論客にありがちな押しつけがましさ・衒学臭さがなく、難しい言葉を一切使わずにまんが好き同士が喫茶店とか飲み屋で盛り上がってるような雰囲気で、楽しく読めちゃうところは島本先生とサカキバラ氏のトーク力のなせる技。ホントーにお二人とも生粋のまんが人(びと)なんだなあ、と思い知る。
 見どころは島本先生の熱気に当てられてか、ササキバラ氏もヒートアップしていき、むしろ終盤は氏が先生に迫らんという勢いでほぼ1ページ使って力説しておられる箇所。ここでササキバラ氏が語っている熱血漫画論は、世で熱血とされるものに出会っても「何かが足りない!」という物足りなさを、全て説明付けてくれた。今の御時世「死んでもやれ!」とは言えない(だってホントに死んじゃうから)し、ギャグやパロディにしかならないが、本心は「死んでもやる」のが好きだ。そういう人が描く作品には、パロディの中の本気が顕現するもの! 死ぬとわかっていながら、本気である限りもはやギャグにしかならない、そういう矛盾を抱えたまま本気で突き進む、そんなこともわかってないのに表面だけの熱血を描くんじゃねえ! という叫びには、思わずよくぞ言ってくれたぁ! とスパーンと膝を叩いた。熱血漫画家と直に接してきた編集者の言う事は違います!(巻末漫画の島本先生の「ううっ 今 俺はジョーになっている ジョーの気持ちがわかるぞ!! 実際にそんな人はいない 架空のキャラクターだが! 気持ちがわかっちゃうんだからもうどうしようがないっ」という発言も、実に(・∀・)イイ!!)
 ジョー一本でこれだけ語れるのだから、『巨人の星の方程式』とかついつい欲をかいて続編を望んでしまうのが読者のサガであるが、これ出たのはもう9年前。それから続発がないのですから、本業の漫画の合間を縫ってこうした本を出すのがいかに大変かしのばれる。いやしかし「子供の時は気付けなかったアレコレ」を教えてくれる本書のようなスタイルは、是非是非後を継ぐ人が出てくるべきだと思います。深読みしてぇーっ!
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